誰かの陰口や「嫌い」という感情に乗っかりたくない。
『人を嫌ってはいけないよ』
というぬるい道徳心がブレーキを掛けているわけじゃない
『人の悪口なんて言ったら自分の価値が落ちてしまう』
という美意識がブレーキを掛けているわけでもない
もっと根本的な違和感が拒絶しているような感じ
わざわざ誰かの「嫌い」に乗っかりその人を嫌いになるのは嫌だ。
例え嫌いになっても、私とあなたの「嫌い」は違う。
自分は自分で勝手に嫌っていたい、みたいな謎の独立心
『人を嫌うことはいけないことなんだよ』
と教えられて育ってきたような気がする
律儀にそれを守ってきた頃もあったかもしれない
でも窮屈、すごい窮屈
違う人間同士が同じ環境に居れば
相性の良し悪しは必然と生じる
誰かを好きになることが止められないように
誰かを嫌いになることもまた止められない
嫌いになればなるほど、嫌悪感も増していくし
被害者意識に苛まれやすくなると思う。
自分の正当性を証明したい。
私は悪くないんだということをみんなに知ってもらいたい。
こんな理由があるのよ。私はあいつにこんな事されたんだよ。
実はこんな事を言われたの。酷く傷付いているんだよ。
からの『ねぇ、ちょっと聞いてよ』という陰口への流れ。
時に弁明弁解が陰口悪口になっている。
目には見えない啀み合いで溢れかえってる中
『べつに人を嫌ってもいいんだよ』
という言葉を聞いて救われたことがある。
一気に自由になった、人との距離感に多様性ができた。
気が合う人との距離感と嫌いな人との距離感
それを同じにしようとするから
ややこしくなるんだということを覚えた。
べつに嫌いな人がいなくなったわけではないけど
余計なストレスはなくなった
言う程でもないさ陰口悪口なんて。
誰かひとりを嫌うのに仲間は必要ないのよ
人1人嫌うのに、自分だけでは物足りなくて
共通の人の陰口を手土産に
集ってまで垂れ流してしまうのは
『自分1人じゃ、あなたには敵いません』
って言ってるようなものだ。
誰かを嫌っても、その人の人生には関与しない
無害な嫌い方は心地いい
龍さん
ただ想ったこと。龍の戯言
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